良質なパロディを

害鉄は相変わらず方向性で悩んでいる。

それは確かに民主主義政体では権力をチェックし批判することは必要であろう。

しかし、そのために害鉄を使うことが必要なのかどうか、ということである。

何より、ネットの援助も尻馬に乗って誰かを叩くために害鉄を使うと言うこと自体が、架空鉄道への冒涜ではないか。

そして、誰かを叩く以上は、叩き回されることも覚悟しなければいけない。
そんなことに怯えながら、害鉄を運営することにに何のメリットがあるだろうか。

今後の害鉄の方向性としては「良質なパロディ」と言うことではないだろうか。

もちろん、笑いである以上、100%誰も傷つかないという事は不可能であろうと思う。

それでも、パロディーと言うことにベストを尽くして今後の上に当たりたいと思うのだ。

何の脈絡があるかどうかはともかく、大阪民国首都圏電鉄の蓄電池動車

 

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