子供を「個体」「泣く機械」と表現してはいけませんか?

小田急で「子育て応援トレイン」というプロジェクトが動き出すという。

子供が電車の中で泣いて何の不思議があるものだろう?
そもそも子供は「泣く機械」なのだ。
これが幼児とか小児とかいう年齢になってもギャン泣きする個体もあるが、たとえば工業製品にだってその程度のエラーはあるはず。

かれこれ6年前の2015年、古市憲寿が同じような事を同じような言い方で表現したら、松本人志や東野幸治が「個体?」と違和感を表明していた。そしてネットでも炎上した。(「古市憲寿 個体」で検索すれば今でも出てくる)

この時「なぜ子供を個体と表現してはいけないんだろう?」と不思議に思っていた。
子供は「個体」であり「泣く機械」ではないのか?

今般、鉄道帝が同じ表現をしても炎上せず、なんとなればリベラル系のアカウントからのRTや「いいね」があったのは、世の中がどんどんじゃディストピアに近づいているということの証左ではないだろうか。

 

 

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