差別は受け流せない
かれこれ数日前のネタではあるが、一度取り上げた以上はきちんと昇華させよう。
「シャンブロウ」(1933年)を世に出した時点では単に「C・L」と女性であることを隠していた(女性であることの公表は翌1934年)ことに対するアウティング(望まない暴露)のようなものだ… という訳でもないのかな。
そうでなければどういう観点で「女性差別」としているのか全く意味不明。
なら、そういう電話一本程度の反対など押し切って出版に踏み切ってしまえばいいではないか、という気もしなくはないが、しかしどこで問題に火が付くか分からない。
どうしてもこの出版を許せない抗議者が、この件を著名なフェミニスト活動家に持っていったとする。
そしたらそのフェミニストは、自らの沽券にかけてでもこの件を問題にしなければいけなくなるのだ。
どうしても「所詮あなたも男社会に順応して生きてきたんですね。あなたに相談したのが間違いでした」という評価はされたくないだろう。
差別に立ち向かうことを生業とする者に「あなたの気のせいですよ」という対応は禁忌であるからだ。
そこで、何らかの理由を付けて槍玉に上げざるを得ないはずだ。
出版社だってそれを知っているから、差別で訴えられる可能性があるとすれば出版することに及び腰になるはずだ。
ところで、害吉さん鉄道空軍と軍民共用の仁川(にがわ)空港からは宇宙へ行くロケットも出発しています。