PukiWiki時代末期を振り返る
2021年2月8日
いまは害鉄HPはブログ化し、パソコンを介さなくても更新が容易になっている。
PukiWikiの頃、毎日ウンコうを維持していた頃は本当に大変だった。
・写真を撮影する。
・文案を寝る。
・手持ちのノートパソコンに写真と文案を反映。ガラを作って中身を作って改行のために行末に「~」を打って・・・
・これを自宅サーバに転送し公開。
・年が変わればまた各年度のカテゴリを作成。
毎回毎回こんな作業をしていたのだ。
中身の本質的でない部分で、それでもPukiWikiを使い続けようと思い続けたのは、編成表やカテゴリ索引などを複数のページでincludeできるからであった。
しかし、そのincludeこそできなくなったが、更新の容易さには変えられない。