Numerophilia ~プロ野球背番号フェチの館~
巻頭言
害吉鉄道でも調査部と武装警備隊が合同で係っている昭和史ブログの編集が一段落したら、プロ野球球団を再び持とうと考えている。
この球団の選手に背番号を付与するに際し、この13日の金曜日の良き日、プロ野球選手の背番号には偏執的なこだわりを持つ鉄道帝が、害吉鉄道の文化事業として「背番号フェチの館」を開館するものである。
2020年11月13日の金曜日 鉄道帝 池沼害吉しるす
番号別
背番号1
チームで絶対的なスター性を持つ選手に付けてほしい。
あと「記憶」より「記録」タイプ・・・なのか?
- 王貞治(巨人 1959~1988) → 永久欠番
- 若松勉(ヤクルト 1972~1989)
- 秋山幸二(西武・ダイエー 1987~2002)
- 前田智徳(広島 1994~2013) → 球団預かり番号
- 新庄剛志(日本ハム 2004~2006)
- 山田哲人(ヤクルト 2016~)
- 鈴木誠也(広島 2019~)
ただ、内野手だと器用なリードオフマンタイプが結構つけているイメージがある。
1と言えば投手の守備番号。
投手で付けているといえば以下の通り。
変わった所では捕手が1を付けた例もある。
ただ、プロテクターの陰になって結局変えたようではあるが・・・
- 谷繁元信(大洋 1989~1992)
背番号2
1980年代の巨人戦の生中継の全盛期に育った身には、どうも俊足好打の外野手というイメージがある。
・・・と思ったが意外といない?
背番号3
言わずと知れた「絶対的なスター」。
キラ星のような大スターがそろっている。
ホームラン王ばかり並んでいる。
- 中島治康(巨人 1936~1942)
- 大下弘(東急・西鉄 1946~1959)
- 小鶴誠(大映・松竹 1949~1952)
- 榎本喜八(大毎・西鉄 1955~1972)
- 長嶋茂雄(巨人 1958~1974) → 永久欠番
- 長池徳士(阪急 1966~1982)
- 土井正博(近鉄・太平洋 1968~1981)
- 衣笠祥雄(広島 1975~1987) → 永久欠番
- 高木豊(大洋 1982~1993)
- 松中信彦(ダイエー 2000~2015)
背番号8
背番号8には2パターンあると考える。
1つは「チームの顔」。先述の背番号3にも並ぶスター性を持った選手が並んでいる。
もう1つは、「闘志とパワーを持ったガタイのいい選手」が背番号8を背負っているような気がする。
前者の例は以下の通り。
後者の例として考えるのは以下と考える。
ポジション別
投手
投手といえばどこのチームでもエースナンバーはある。
捕手
捕手でベタな番号といえば22とか27とか39あたりだろうか。
少し前であれば12なんてのも捕手の番号だった。
背番号10番台の野手
この「背番号フェチの館」を開館したのは他でもない、この背番号10番台の野手というものにフェティッシュな思いすら持っているからである。
日本のプロ野球であれば投手が付けることの多い背番号10番台を背負っている日本人野手は、2020年のシーズンでは以下の通りとなる。
捕手で12が多いのは先述の通り昔からのこと。
平沢大河の背番号13は、ニューヨークヤンキースのアレックス・ロドリゲスからだそうで、キリスト教圏であるアメリカでは13とはビルの階数やホテルの部屋番号などでも避けるほどの忌み番であるといわれているが、MLBでは中南米出身者を中心に「大きな力を持つ番号である」として敢えて付ける例が多いのだという。
このA-Rodの影響を受け、日本ハムの中田翔もまた、WBCの日本代表チームでは普段の背番号6を坂本勇人に譲り、自身は背番号13で大会に臨んでいる。
このように背番号10番台の野手を現在でも2人抱えているホークスであるが、南海時代はこれ以上に「10番台野手天国」であった。
- 12 蔭山和夫(1950-1960 三塁手)、広瀬叔功(1961-1979 遊撃手・外野手)
- 14 木塚忠助(1950-1956 遊撃手。1957-1959の近鉄時代も14)
- 15 大沢啓二(1959-1964 外野手)
- 16 森下整鎮(1952-1968)
- 19 野村克也(1956-1977、1978-1980のロッテ・西武時代も19)
特記事項
昭和30年ごろの阪神タイガース
投手だけで背番号1~8を占めていたようである。
後年にわたって背番号47のイメージを投手に印象付けた小山正明もこの時は背番号6だった。