くらわんか

害吉鉄道の駅の売店は害鉄弘済会が運営しており、「キヨスク」ではなく「くらわんか」と言います。
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右下にくらわんか舟が描かれている。広重画「京都名所之内 淀川」

Wikipedia:くらわんか舟より

枚方で停船しようとする三十石船に鍵爪をかけて近づき、飯や汁物、酒などの飲食物を販売していた小舟(店主2名乗船程度)が「くらわんか舟」と呼ばれていた。汁椀など食後の食器は要返却となる。「くらわんか」とは、この地方の方言で「喰わないのか」「喰うことも出来ないくらいの銭も持っていないのか」と乱暴に、また挑発気味に言った言葉である(現在の河内弁では「食べへんのか」、「食わんのけ」に相当)。夜と昼とを問わず三十石船に近づき、乗客たちに「くらわんか」と声を掛け販売していたことから「くらわんか舟」という名がついた。

東海道中膝栗毛などさまざまな紀行文学で、くらわんか舟の船頭たちが「飯くらわんか、酒くらわんか、銭がないからようくらわんか」と大声でがなりたてながら寝ている客を乱暴に起こして回り食事を売るさまが描かれている。

もともとは対岸の高槻の柱本が発祥といわれている。柱本の船頭たちは、大坂夏の陣などで徳川方の物資運搬に協力した功績で幕府から営業特権を与えられ茶船の商売を始めるようになり、後に対岸の枚方宿に移るようになった。またこの際、地元の乱暴な言葉遣いのまま飲食を売ってもかまわないという不作法御免の特権も与えられたため、身分の高い人に対しても「くらわんか」と叫ぶことが許されており淀川往来の名物となっていた。

こうした商売は淀川の水運が鉄道へと変わる明治ごろまで続いていたが、いまでも菓子の名などに「くらわんか」の名は残っている。

 

 

 

 

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