ウンコう日誌(第856話)

油と汗と、言葉の渦が渦巻く高架下で、緑色の蓄電池動車107号は、今日も静かに息をしていた。
「발차 준비 됐나?」「准备好冇?」「ไป釜ヶ崎やで、 जल्दी चढ़ो!」
ホームに立つ車掌は、大阪クレオールで怒鳴る。怒鳴っているが、どこか優しい。
この列車は速くもないし、力もない。だが、煙を吐かず、音も小さい。だからこそ、夜明け前のユニオン駅にはちょうどいい。
屋根の上には、港で拾われたばかりの男たち。コンクリ桟橋から流れてきた者もいれば、日本列島の山間から出てきた者もいる。皆、目だけがぎらぎらしている。
「釜ヶ崎までいくらや?」
「钱唔多,兄弟,先上车。」
「चलो चलो、仕事あるかもしれんで。」
発車ベルは鳴らない。
ただ、107号は、じわりと動き出す。
芦原橋(本社前)を過ぎると、街は急に骨組みだけの姿になる。
錆びた鉄骨、積まれたコンテナ、壁に貼られた多言語の求人貼り紙。
「काम?」「공사?」「งานก่อสร้าง?」
誰も答えを持たない。
蓄電池動車は、貨物列車の隙間を縫うように進む。
煙を出さない代わりに、時代からも忘れられている。
それでも、今日も人を運ぶ。
釜ヶ崎に近づくころ、屋根の上の若い男がぽつりと言った。
「ここ、ほんまに仕事あるんか?」
誰も笑わない。
やがて、終点。
粗末なホームに、緑の車体がすっと滑り込む。
「終点や。 उतर, उतर。」
男たちは降りる。
足取りは重いが、止まらない。止まったら終わりだからだ。
ホームの端で、古びた詰所の前に立つ老人が、107号を見上げている。
「また来たんか、お前は。」
蓄電池動車は何も言わない。
ただ、静かに充電を待つ。
電気を溜め、また人を運ぶ。
煙も、誇りもなく。
だが確かに、この都市の混沌を、今日も一駅分だけ前に進めているのだった。





