ウンコう日誌(第851号)

それは、どこの路線図にも載らない機関車だった。
形式はD51。ただし、銘板には小さく 「Д51」 と刻まれている。
一度、国境を越え、言葉を失い、そして帰ってきた機関車の印だった。

大阪民国・害吉鉄道のコンクリ桟橋駅。
コンクリートの割れ目から潮の匂いが立ち上る構内に、その黒い機関車は静かに止まっていた。

「……なんやこれ、文字ちゃうやろ」

詰所の前で、古株の機関士が首をかしげる。

「Дや。ダスビダーニャのDやて」
「は? なんやそれ」
「知らんけど、樺太おった証拠らしいで」

このD51は、戦後の混乱の中で北へ流された。
宗谷を越え、樺太で森林鉄道を引き、凍ったレールの上で何年も貨車を押した。
ボイラーに刻まれた霜の記憶は、いまも消えていない。

「寒かったんやろなぁ……」

若い助士が、黒光りするシリンダを撫でる。

「そら寒いやろ。
マイナス三十度やで?
オレやったら即バックれるわ」

そのとき、どこからか混じった言葉が聞こえた。

「그러게… 이놈도 고생했겠지」
「苦労したやろ、って言うてるわ」
「誰や今の」

コンクリ桟橋駅は、いつもそうだ。
日本語、大阪弁、朝鮮語、中国語、タガログ語、ベトナム語。
言葉が貨物のように積まれ、勝手に下ろされる。

その夜、D51は久しぶりに仕事を与えられた。
積むのは石炭でも木材でもない。
コンクリ桟橋に流れ着いた、行き場のない労働者たちだ。

「おい、汽車動くで!
ほら、乗れ乗れ!」

「빨리 타! 늦으면 안 돼!」
「行先? 知らん。芦原橋や!」

D51は、低く短い汽笛を鳴らした。
それは、樺太で覚えた鳴らし方だった。
高く誇る汽笛ではない。
「まだ生きてるぞ」と言うための、控えめな合図。

鉄路は青いプラスチックのように細いが、
この世界では、それで十分だった。

芦原橋に着いたとき、誰かがぽつりと言った。

「この汽車……帰ってこれてよかったな」

D51は答えない。
だが、動輪の奥で、かすかに蒸気が揺れた。

銘板の 「Д51」 は、もう削られない。
それは異国の印であり、帰還の勲章だった。

翌朝もまた、D51は走る。
大阪ユニオン駅から、芦原橋へ。
そして必要とあらば、再び海の向こうへ。

この機関車は知っている。
国も言葉も、結局は線路の上の一時的な名前にすぎないということを。

だから今日も、静かに汽笛を鳴らす。

――帰ってきたぞ、と。

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