ウンコう日誌(第844号)

大阪民国の夜は、いつも電圧が低い。
ネオンはちらつき、言葉は混線し、人も貨物も目的地をはっきり言わない。

芦原橋(本社前)駅のはずれ、コンクリート粉と魚油の匂いが混じる留置線で、
蓄電池動車四〇七号は静かに息を潜めていた。

エンジン音はない。
あるのは、腹の奥でじんわり熱を持つ鉛蓄電池の鼓動だけだ。

「오늘 밤도 조용하네ぇ……」

運転台に座る初老の運転士・張(チャン)は、
大阪弁に釜山訛りが混じった声でつぶやく。
かつて蒸機もディーゼルも動かした男だが、
この車両だけは、最後まで「生き物」みたいに扱っていた。

「ガタガタせぇへんし、煙も出ぇへん。
せやけどな、こいつは腹減ったら一気に止まる」

四〇七号は返事をしない。
ただ、車内灯がわずかに明滅した。

今夜の行先は、
大阪ユニオン駅 → 芦原橋 → 釜ヶ崎。
貨物のおまけみたいな旅客列車だ。

乗ってくるのは、
段ボールを抱えた男、
工事靴を履いたまま眠る女、
どこの国の言葉か分からない独り言を呟く若者。

「走るで。ゆっくりやけどな」

四〇七号は、音もなく動き出す。
レールの継ぎ目を越えるたび、
コトン、コトン、と低い振動だけが伝わる。

釜ヶ崎が近づく頃、
車内の明かりが一段、落ちた。

「……あかん、電圧下がっとるな」

張は計器を見て、ため息をつく。
だが、ブレーキはかけない。

「もうちょいだけ、もってくれや」

その瞬間、
最後部に座っていた若い男が立ち上がり、
つたない日本語で言った。

「이 열차… 静か。
でも、あったかい」

張は、思わず笑った。

「せやろ。
こいつ、寒い時代に生まれたからな」

釜ヶ崎のホームに滑り込む直前、
四〇七号は、ふっと力を抜いたように止まった。

完全停止。
だが、誰も文句は言わない。

「歩こか」
「しゃあないな」
「谢谢」

人々は静かに降り、
それぞれの夜へ消えていく。

最後に張は、運転台を軽く叩いた。

「よう頑張ったな。今日も」

四〇七号の車内灯が、
一瞬だけ、ほんのり明るくなった気がした。

翌朝、
誰も気づかないうちに、
また充電され、
また黙って走る。

害吉鉄道の蓄電池動車は、
いつだって、声を出さずに人を運ぶ。

電気みたいに、
必要なときだけ、そこにある。

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