ウンコう日誌(第778号)

—コンクリ桟橋を出発する列車の先頭に、黒光りする異形の機関車がいた—
それは、かつて帝都の華とも呼ばれた「流線型C53 53改」。
大東亜流線形計画の末期に生まれ、空襲下の東京を風のように走り抜けたとされるが、その戦後の消息は不明だった。
ところが、数十年後、コンクリ桟橋の汚泥の中から、泥と錆にまみれたその車体が発見された。
しかも、発見したのはどこの国の人間かもわからぬ流民労働者たち。
彼らが自らの手で修復し、炭でも電池でもなく「ゴミ発電装置」によって動くように改造したという。
列車は、コンクリ桟橋〜芦原橋(本社前)〜釜ヶ崎間を中心に運行される貨客混合列車。
貨物はすべて「漂着物」。
客車にはゴミと区別のつかぬ労働者たちが群れをなし、屋根の上には漂流物で作られた家具や小屋が載せられ、
もはや“人を運ぶ”というより“都市ごと移動している”ような様相であった。
運転士は名乗らず、ただ「モッコ」とだけ呼ばれていた。
義眼に包帯を巻き、風呂敷に弁当のようなものを包んで機関室に入る姿だけが目撃されている。
彼が本当に人間なのか、誰も知らない。
そして、ある夜のことだった。
列車が大阪ユニオン駅に差しかかったとき、駅構内の電灯がすべて消えた。
再点灯した時には、駅構内の売店やキオスクがすべて空っぽになっていた。
そして「流線型C53」は何事もなかったかのように、煙一つ吐かず、釜ヶ崎へと去っていった。
—
「それは、何を運んでいたんや……?」
誰かが呟く。
「ゴミか? 労働者か? それとも…“記憶”かもしれんなあ」
駅の片隅でタバコをふかす老人の言葉は、誰にも聞こえなかった。