ウンコう日誌(第755号)

大阪民国。
時代に置き去りにされた都市の片隅で、今日もまた緑色の蓄電池動車が「大阪ユニオン駅」を静かに出発する。
行き先は、釜ヶ崎。
車番は107。戦後復興期に旧国鉄が試験的に導入した車両を、廃車直前に害吉鉄道が二束三文で買い取り、自社の整備工場で蓄電池式に改造したものである。パンタグラフは最初からついていなかった。今では屋根上の装置は換気口と、どこかから転用した冷却ファンが並ぶだけ。どれも怪しいパテで止められている。
搭乗口のステップは剥がれかけ、前照灯も片方はレンズがない。だが、乗る者は文句など言わない。
なぜなら、この車両が「釜ヶ崎行き」だからである。
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釜ヶ崎へ向かう人々。
多くは日本列島各地からの貧しい労働者。
大阪ユニオン駅に着くなり、食事も取らずにこの緑の車両に乗り込む。
彼らは言う。「まずは場所を確保せんといかん」「寝るところがなければ働けん」。
車内には簡素なベンチ。隅には段ボール。臭いは強烈だが、暖かい。
冬は皆で毛布をかぶり、夏は窓を外して走る。車内灯は豆電球一個、しかもバッテリー節約のため駅に着くたびに消される。
沿線には「芦原橋(本社前)」という名ばかりの拠点駅がある。
本社といっても木造のバラック、駅前には朝から焼酎のビンが転がる。
そしてその先に、「釜ヶ崎」。
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ある朝、蓄電池動車107号の運転席に、新人の女運転士・サナエが乗務していた。
彼女は元・自衛隊の電気整備兵。民間転職に失敗し、最終的に害吉鉄道へたどり着いた。
「ちゃんと走らせれば、人は運べるんですよ」
彼女の口癖だ。
この日、107号はバッテリーの残量が半分以下だったが、芦原橋を過ぎたころから乗客が倍増。
釜ヶ崎へ行く労働者たちは立ち席に押し合いへし合いし、車両は軋みを上げる。
坂道で速度が落ちた瞬間、車内から「押せー!」の声。
誰ともなく降りて、車両の後ろを人力で押し始めた。
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釜ヶ崎駅に着いた時には、バッテリーは空。
それでもサナエは、誇らしげだった。
「今日もひとつ、移動する力を見せたんです」
害吉鉄道の蓄電池動車は、今日も音もなく大阪民国の深部を走る。
誰も乗らない鉄道ではない。
誰にも知られず、誰かを運ぶ鉄道だ。