ウンコう日誌(第750号)

害吉鉄道・コンクリ桟橋駅。かつて大陸への夢と悲しみを載せて走った一両の蒸気機関車が、今またその煤けた車体を軋ませながらホームに滑り込んできた。

先頭に立つのは、旧日本帝国の名機・D51型蒸気機関車──ではない。前照灯の下にはキリル文字で「Д51」と記されている。ソ連領時代のサハリン(樺太)で鹵獲・改造され、貨物牽引機として酷寒の大地を走り続けた生き残りである。

戦後、貨物ごと押収され、何度も塗装を塗り直されながらも、ボイラーの鼓動だけは絶やさずにきた。ユーラシアの片隅でスクラップにされるはずだったこの機関車は、ある日ひょっこりと貨物船に積まれて害吉鉄道へと「帰って」きた。朝鮮経由か、ロシア経由か、そこは謎である。積荷の書類は全てキリル文字で塗り潰され、ただ「日本製」の刻印だけが残っていた。

いま、コンクリ桟橋駅でD51は、屋根に人をびっしり載せた難民輸送客車と連結され、終点・釜ヶ崎を目指す。積まれているのは、樺太から、満洲から、ウラジオストクから、命からがら帰還してきた者たち、あるいは帰れぬ者の魂を運ぶダミーの貨物。

駅の構内放送が古びたロシア語で響く。

「Поезд номер один… Конечная станция — Камагасаки…」(列車1番、終点カマガサキ…)

あの戦争が終わって幾星霜、D51は帰ってきた。あの時は武装して北へ向かったが、今は誰のためでもない、ただ帰るために。

貨車の屋根にしがみつく老婆は、静かに口ずさむ。

「おとうが、あの機関車にのってったっけなあ…」

汽笛が鳴る。煤をまき散らしながら、害吉鉄道の線路を、D51──いや、Д51はゆっくりと走り出す。

その姿を、コンクリ桟橋に吹く異国の風と、魚の腐臭と、焙煎豆の香りが見送っていた。

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