ウンコう日誌(第744号)

その蒸気機関車は、かつて北海道の炭鉱町——天塩の奥地を、石炭を吐きながら走っていた。
社型C58。
国鉄型とは似て非なる、鉱山会社が自前で整備し、修理し、動かしていた野生の機関車。
型番もプレートも何もかもが「会社のやりかた」で付けられており、構造的にはC58っぽいが、もはやC58ではない。
——そして時は流れ、
その社型C58は、気がつけば大阪民国の害吉鉄道にいた。
朝のコンクリ桟橋駅。
客車の屋根には、誰が指導したわけでもないのに移民労働者たちが鈴なりに乗っている。
座席争いなどない。争うくらいなら屋根に乗る。これがルールだ。
「発車ァ……!」
駅員も叫ばない。代わりに、屋根に乗ったサモア系の少年が、口笛で出発の合図を送った。
シュウウウウ……ポッポーーー!!
黒煙をまき散らして社型C58は走り出す。
コンテナ車には「琉球コンチャ」の文字。奄美や那覇から届いた黒糖やバナナ、密輸タバコが積まれている。
乗客たちはその上に腰を下ろし、まるで荷物の一部のように揺れながら、釜ヶ崎へ、芦原橋へ向かう。
ディーゼルカーが主力となった今、なぜ蒸気機関車なのか?
それは彼らが「蒸気の匂いが郷愁を誘う」と信じてやまないからだ。
屋根に乗った一人がこう言う——
「ディーゼルはカネの匂い、電車は無機質。スチームは汗と煙とふるさとの匂いや」
害吉鉄道の本部で、この社型C58は「番号不明」とされている。
部品も寄せ集め。整備記録もない。走ることそのものが都市伝説。
それでもこの鉄道は、ユニオン駅からコンクリ桟橋までを、ほぼ毎日走っている。
貨物のように、乗客を、夢を、汗を、黒煙にまぎれた歌を——乗せて。
大阪民国。
地球上でもっとも混沌に愛された土地で、
ひとつの亡霊のような機関車が、今日も走る。
天塩の雪と、コンクリ桟橋の潮風をつなぐ、一本の蒸気の線となって。