ウンコう日誌(第740号)

大阪民国——
そこは「アジアのラゴス」と呼ばれる世界最強のカオス地帯。チャイナも、インドも、クルドも、ビルマも、沖縄も、戦後難民も、半グレも、そしてどこから来たのか分からない人々も——皆がここに流れ着き、そして“共存しないまま共存”している。
中心駅・大阪ユニオンは一日中怒号と多言語で満ちているが、南港の果てにあるコンクリ桟橋駅に向かう害吉鉄道は、なぜか静かだ。
その理由のひとつが、この緑のオンボロ列車——蓄電池動車107号である。
旧日本の戦後直後に東京で試作された電気自動車。戦争と鉛価格の高騰、そしてガソリン自由化によって廃れたはずの技術。しかしなぜか、大阪民国だけはこれを今なお運用している。
107号は燃料がいらない。給電もいらない。港のアングラ充電屋台で、夜な夜な“改造バッテリー”を手に入れ、昼には動く。パキスタン人がリヤカーで運ぶその電池は「軍用地雷の中身を再加工した」と噂されるが、気にしたら負けだ。
乗客もまた多彩だ。
・釜ヶ崎の老ベトナム兵は、車内でフランス語の辞書を読みながら犬肉の干物を売っている。
・ネパール人の医学生は、吊革にぶら下がりながらビデオ通話で義母と喧嘩している。
・台湾系の麻薬密売人が、蓄電池の蓋を外して“隠し倉庫”として使っている。
・韓国から密航してきた演劇青年は、南津守駅で必ず即興パフォーマンスを始めてしまい、警官(モン族の二世)に追い回される。
・関空から流れ着いた欧州バックパッカーは、「この電車はミャンマー?」と訊いてくる。
そのたびに、運転士のジィジは言う。
「これは大阪民国や。ミャンマーでもないし、日本でもない。ここだけのもんや」
——バッテリーは2日持たない。
——エアコンは動かない。
——車両の床からは草が生えている。
それでも、誰も文句を言わない。なぜなら、ここでしか味わえない“居場所”があるからだ。
たとえば、終点コンクリ桟橋。
巨大タンカーの間に挟まれた桟橋では、阪琉航路の船に乗り換えれば沖縄へ、阪鮮航路なら朝鮮半島へと向かうことができる。
パスポートも要らない。通貨も通じない。ただ、現地語と“肝っ玉”さえあれば、たいていのことはどうにかなる。
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ある夜、107号の運転席にいたジィジがぼそっと呟いた。
「蓄電池って、誰も信用してへん。でも、誰も文句も言わん。なんか……人間みたいやな」
そのとき車内では、イラン人とタイ人が麻雀をしていた。運賃は唐辛子とビットコインの混合払い。
107号は静かに、でも力強く、アジアの夜を駆けていた。
それは未来から取り残された鉄道ではなく、
むしろ未来の姿そのものかもしれなかった。