ウンコう日誌(第858号)

大阪民国の冬は、煤けた匂いがする。
大阪ユニオン駅の片隅、害吉鉄道の引き込み線に、緑色の小さな木炭動車がちょこんと止まっていた。側面に「107」とある。屋根の上には角ばった吸気口。後ろには黒光りする木炭ガス発生装置。
石油が足りない。
金も足りない。
けれど人は、溢れている。
「次、釜ヶ崎ゆきや。乗るやつ、はよせえ」
運転台から顔を出した車掌兼運転士の声は、大阪クレオールだった。
「빨리 타라, 늦으면 못 간다데이!」
「快啲啦,冇位啦!」
「ໄປໆ ໄວໆ!」
「เร็วๆ ไปกัมปา!」
「Nhanh lên đi, anh em ơi!」
「जल्दी चढ़ो!」
「မြန်မြန် တက်ပါ!」
「வேகமா ஏறு பா!」
「མགྱོགས་པར་འགྲོ!」
「ତୁରନ୍ତ ଚଢ଼!」
「ፈጣን ግባ!」
ホームは雑多な言語の渦だった。
日本列島各地から流れてきた失業者。
南の港から流れ着いた労働者。
昨日まで別の国にいた男たち。
木炭動車は、石炭ではない。
木炭を燃やし、発生したガスでエンジンを回す。
力は弱い。坂では唸る。煙は白く、匂いは焦げた林のよう。
それでも、走る。
芦原橋(本社前)を過ぎると、沿線の景色は変わる。
錆びた倉庫。違法改造の長屋。赤提灯と教会とモスクが同じ通りに並ぶ。
車内で、痩せた青年が隣の男に話しかけた。
「おまえ、どこから来たんや」
「済州。바다 건너왔다. コンクリ桟橋や」
「わしは秋田や。ユニオン駅で降ろされてな……」
向かいでは、小柄な男が笑う。
「ငါ ဘန်ကောက်က လာတယ်။でも今はここや。काम चाहियो。」
別の男が頷く。
「काम यहाँ मिलेगा? 釜ヶ崎、ほんまに仕事あるんか?」
運転士が後ろを振り向かずに言う。
「あるかどうか知らん。けどな、ここで降りたら、腹は減らん。どっかの飯場が拾う」
ガス発生装置がゴウン、と低く唸る。
木炭の爆ぜる音が、車体の奥で小さく弾ける。
「ほら見てみぃ」
窓の外、支線が分かれている。
芦原橋から釜ヶ崎へ伸びる細い線路。
「ここからが本番や」
釜ヶ崎駅は、立派ではない。
コンクリートは割れ、看板は傾き、しかし人の気配だけは濃い。
ホームに降りると、待っていた男が声を張り上げる。
「งาน! 仕事あるで!一日三千!飯付きや!」
「住むとこあるんか?」
「あるある、心配すな。来い来い!」
群衆が流れる。
言葉は通じきらない。
けれど、足は前に出る。
木炭動車107号は、しばらく停車し、また唸りを上げた。
運転士が独りごちる。
「石油がのうても、人は走る。木ぃ燃やしてでもな」
車体の横で、小さな少年が呟く。
「ဒီရထား… မီးခိုးရထားやな」
その横で別の少年。
「煙やない、希望やで」
誰も聞いていない。
けれど、木炭動車は今日も走る。
大阪ユニオン駅から釜ヶ崎へ。
焦げた匂いと、多言語のざわめきを乗せて。
そして遠く、コンクリ桟橋ではまた別の船が着く。
阪琉航路。阪鮮航路。
新しい混沌が、ゆっくりと階段を上がってくる。
害吉鉄道の木炭動車は、それを迎えに行く準備をしていた。





