ウンコう日誌(第852号)

大阪ユニオン駅の朝は、いつも煤けた匂いがする。

ホームの端に据え付けられた青い線路の上で、緑とクリーム色の小さな木炭動車107号は、ぽこ、ぽこ、と不器用に息をしていた。屋根の上の小さな煙突からは、石炭ではなく、木炭のやわらかい煙が立ちのぼる。時代錯誤。だがそれが、害吉鉄道の矜持だった。

「社長はん、まだ木ぃ燃やす気かいな」

運転台の窓を拭きながら、若い車掌が言う。

「煤(すす)で目ぇ痛いわ。咳出るで」

奥から、社長――自称「鉄道帝」――が顔を出した。軍帽まがいの帽子をかぶり、胸を張る。

「煤こそ文明や!石油は外貨、電気は借金、木炭は自給自足や。これが大東亜自立圏や!」

正気かどうかは、誰も確かめない。

木炭動車は、大阪ユニオン駅から芦原橋(本社前)を経て、釜ヶ崎へ向かう。大阪ユニオン駅に流れ着いた、日本列島各地の貧しい労働者を運ぶための列車だ。

発車ベル代わりに、運転士が手で車体をぽん、と叩く。

ごとり、と音を立てて、107号は動き出した。

車内には、段ボールを抱えた男、工具箱を持った青年、毛布を巻いた老人が並ぶ。誰もが、どこか遠くから来た顔をしている。

「兄ちゃん、どっからや」

「秋田」

「おれは熊本ばい」

「ワシはもう、どこでもええわ」

木炭の匂いが、言葉の隙間を埋める。

芦原橋(本社前)で、社長がホームに立つ。

「釜ヶ崎は希望の街や!働けば、いつかはコンクリ桟橋まで行ける!」

誰も拍手しない。ただ、煙だけがゆらゆら揺れる。

木炭動車は、ゆっくりと支線へ入る。線路は細く、頼りない。まるでこの都市の裏側のようだ。

釜ヶ崎駅は、名ばかりのホームだった。屋根も半分しかない。だが、人の気配は濃い。

降りると、ひとりの男が振り返った。

「なあ、この列車、いつまで走る思う?」

運転士は、煙突の煤を指でぬぐいながら言う。

「木ぃがある限りやな」

それは冗談のようで、本気だった。

大阪民国は、世界中から混沌が集まる都市だ。コンクリ桟橋には阪琉航路、阪鮮航路の船が着き、世界の労働者が降り立つ。だが、この木炭動車は違う。これは、日本列島の内側から溢れた人々を、そっと受け止めるための列車だ。

夕方、107号は再び大阪ユニオン駅へ戻る。

煤だらけの顔で、運転士がつぶやく。

「電車やない。汽車でもない。木ぃで走る半端もんや」

車掌が笑う。

「半端やから、ええんちゃう?」

煙は、夕焼けに溶ける。

害吉鉄道の木炭動車107号は、今日もぽこぽこと、不器用に時代に逆らっている。

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