ウンコう日誌(第840号)

それは木炭動車だった。
害吉鉄道の中でも、いちばん時代から取り残された車両だ。屋根の上には、もともと蓄電池箱が載るはずだった場所に、無理やり作った木炭ガス発生装置が鎮座している。鉄板は波打ち、ところどころ焦げ跡が残っている。緑色の車体には「107」の番号が白く残り、剥げた塗装の下から、さらに古い色が透けて見えていた。
芦原橋(本社前)の側線で、木炭動車は今日も発車の時を待っている。貨物のついでに人を乗せる、というより、人を運ぶついでに貨物を引っかけるような運用だ。大阪ユニオン駅から流れ着いた労働者を、釜ヶ崎へ落とす。その途中、コンクリ桟橋から来た連中も拾う。
ホームと呼ぶにはあまりに粗末なコンクリの段に、何人かが腰を下ろしている。
「오늘도 이거 타는 거야? 진짜 냄새 나는데」
「しゃあないやろ。柴油 없으니까, 木炭や」
「哎呀,这车比我爷爷还老啊」
「老不老関係ない。走るか走らへんかや」
運転台では、運転士の男が木炭投入口を開け、黒く乾いた炭を無言で放り込んでいる。ガラガラと嫌な音がして、白い煙が一瞬だけ吹き出した。男は手慣れた様子で蓋を閉め、圧力計を睨む。
「よし、いけるな」
「社長、また『大東亜を鉄道で制覇する』とか言うてましたで」
「正気ちゃう。けど、この会社で正気やったら続かへん」
エンジンが、いや、もはやエンジンと呼んでいいのか分からない心臓部が、ゴボッ、ゴボッと咳き込むように音を立てる。木炭ガスの甘くて焦げた匂いが、車内にじわりと広がる。
木のベンチに腰を下ろした男が、布袋を抱えたまま呟く。
「日本列島じゅう回ったけどな、こんな汽車、ここだけやで」
「汽車ちゃう、動車や」
「どっちでもええわ。ここ着いたら、もう戻られへん気するわ」
誰も否定しない。
発車ベルなどない。運転士が窓から身を乗り出し、軽く手を振る。それだけで十分だった。木炭動車はゆっくりと動き出し、青いレールの上をギシギシと進んでいく。
芦原橋を離れると、景色はすぐに色を失う。倉庫、空き地、錆びた柵。遠くに見える大阪の高層ビル群は、まるで別の世界の幻みたいだった。
「釜ヶ崎まで、何分?」
「気分次第やな。この子の機嫌次第」
誰かが笑ったが、すぐに咳き込んだ。木炭の煙が、また濃くなる。
それでも木炭動車は止まらない。止まれない。最新技術とも効率とも無縁のこの車両は、ただ「ここに来てしまった人間」を次の場所へ運ぶためだけに存在している。
大阪ユニオン駅で混沌を吸い込み、コンクリ桟橋で世界を飲み込み、そして釜ヶ崎で吐き出す。
ゴボゴボという音は、まるで腹を壊した生き物のうめき声のようだった。それでも、その音が消えない限り、害吉鉄道は今日も生きている。
誰もそれを誇りに思わない。だが、誰も否定もしない。
木炭動車107号は、今日も時代に逆らうように、黒い煙を吐きながら走り続けていた。





