ウンコう日誌(第833号)

そのC56は、帰ってきた、という言い方が一番近かった。
泰緬鉄道。地図の上では一本の細い線に過ぎない場所から、時間と死体と湿気だけを腹いっぱいに詰め込んで。

害吉鉄道・大阪ユニオン駅の片隅、貨物線の先で、C56はゆっくりと息を吐いた。吐いた息はもう蒸気ではなく、黒い埃だった。

「おお……また生きとったんかい、あんさん」

作業服の男が、半ば冗談、半ば本気でそう声をかける。
機関車は答えない。ただ、ボイラの縁に残った錆が、熱でぱきりと鳴った。

このC56は、戦争の話をしない。
できないのではない。しないのだ。
代わりに、重いものを牽く。

今日の編成は、代用客車と、ガラクタ貨車。
ガラクタといっても、コンクリ桟橋から流れ着いた世界だ。
壊れた扇風機、錆びたトランク、文字の消えかけた木箱。
その間に、人が乗る。

「야, 이거 진짜 기차냐…」
「ほんまもんやで。乗り遅れたら歩きや」
「歩けるかいな、脚もうボロボロや」

大阪ユニオン駅を出ると、線路はすぐにくたびれた街を縫い始める。
C56は速度を出さない。
急げば、過去が剥がれ落ちるのを知っているからだ。

芦原橋(本社前)。
ここで一度、止まる。

鉄道帝は今日もおらへんのか?」
「知らん。大東亜やら何やら、また夢見とるんちゃうか」
「梦?呵呵,这个机器才是梦吧」

客の笑い声が、短く途切れる。
誰も、この機関車の来歴を深く聞こうとしない。
泰緬鉄道の話は、重すぎるのだ。
聞いた瞬間に、自分の人生が軽くなる気がして。

コンクリ桟橋へ向かう途中、C56は一度だけ、奇妙な音を立てた。
軋みでも、空転でもない。
――祈り、のような音。

かつて密林で、倒れた人間の横を通るたびに、
この機関車は同じ音を立てていた。

「なんや今の」
「知らん。気のせいや」

誰もそれ以上、言葉を続けない。

コンクリ桟橋駅。
海の匂いと、油と、国籍不明の叫び声。

「ลงแล้วๆ! 빨리! 快点下车!」

人が降り、荷が降り、また別の何かが積まれていく。
C56は、ただ黙って耐える。

この鉄道は、時代に取り残されたのではない。
時代を背負わされただけだ。

夜。
最後の入換が終わると、C56は静かに線路の奥へ戻される。

誰も見ていないところで、機関車はほんの一瞬だけ、
昔の名前を思い出す。

泰緬鉄道。
帰れなかった人たち。
帰ってしまった自分。

そして、今日もまた、
害吉鉄道の一日が終わる。

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