ウンコう日誌(第819号)

害吉鉄道・大阪ユニオン駅の片隅。蒸気機関車たちの溜まり場になっている古い検修庫に、黒光りした小ぶりの機関車が静かに眠っていた。
C56 160――通称「サルゴリラチンパンジー」。泰緬鉄道から帰ってきて何十年も経つのに、その異名だけはなぜか色濃く残っている。

帰国直後は国鉄の機関区を転々とし、そして老朽化で用途を失いかけた頃、よりにもよって大阪民国の害吉鉄道が「ウチ来る?」と軽いノリで買い取ったのだ。

以来、彼は大阪最大のカオス地帯で、毎日のように貨車も客車も何でも引いてきた。
今日の仕事は、コンクリ桟橋から流れ着いた海外労働者を芦原橋(本社前)まで連れてくる本線列車である。

大阪ユニオン駅 昼下がりの発車前

黒い小機関車の足まわりで整備士の青年が点検していると、C56 がぼそっと言った。

「なあ兄ちゃん……ウチ、まだ走れまんねんな?」

「走れるどころか、めっちゃ元気やで。ほら、圧もよう上がってるし」

その時、乗客がどっと押し寄せた。
大阪クレオールが飛び交い、駅はたちまち阿鼻叫喚。コンクリ桟橋から来た労働者たちは、荷物の山を車両の屋根にまで積み上げ、C56はそれを見てため息をついた。

「アイヤー……また屋根の上、サバイサバイ言うて座っとるなぁ……ウチ、タイ戻ったんか思うわ……」

横で構内係が笑う。

「サルゴリラ、あんた戻っとらへんで。ここ大阪民国や。まあ似たような混沌(カオス)やけどな」

●発車

汽笛が短く鳴り、C56 は青いレールの上を滑り出した。

「よっしゃ行くでぇ! みなサーン、จับดีดี な! 荷物落としたらウチ知らんで!」

客車の屋根から
「โอเคー!」
「好好好~!」
「ニャー!」
など謎の返事が返ってくる。

沿線の街並みは、いつ見ても混沌の極み。緑の路面電車が乱入し、なぜか釜ヶ崎方面から木炭動車がすっと現れ、そして消えていく。

「ウチもう慣れたわ……ジャングルも無茶苦茶やったけど、大阪民国はまた別ベクトルの無茶苦茶や……」

●芦原橋(本社前)にて

終点の手前で速度を落としながら、C56はふと昔を思い出した。

焼け付くような東南アジアの陽射し。
粗末な橋。
重い材木。
そして、無数の人々の息づかい。

害吉鉄道に来てからは、そうした重さは少しだけ薄れた。
代わりに、別方向の狂気みたいなものが濃くなったが、それでも人々は笑っていた。

「……まあ、ええか。笑い声あるだけ、まだ救われるわ」

芦原橋に到着すると、乗客が一斉に降り、また一斉に散っていく。
駅前には、害吉鉄道の社長――自称「鉄道帝」が待ち伏せしていた。

「サルゴリラチンパンジー! 今日も帝国の未来を支えてくれてありがとう! 大東亜の再統合は近い!」

「社長、アンタな。正気やないんは昔からやで。ウチはただの小さいC56や……世界征服とかムリやて」

社長は気にする様子もなく高笑いした。

「フハハハハ! 次は釜ヶ崎行きもお願いする!」

「……はいはい。행きまっせ行きまっせ。まったく、どこ走ってもカオスやなぁ」

●そして今日も

C56「サルゴリラチンパンジー」は、小さなボディで大阪民国の混沌を引きずりながら、青いレールの上を力強く駆け抜けていく。

「ウチ、まだまだ走りまっせ。ジャングル抜けて、大阪も抜けて。次はどんなカオスが待っとるんやろなぁ……」

その汽笛は、今日もどこか陽気で、どこか懐かしい響きを帯びていた。

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