ウンコう日誌(第815号)

■ すっかり“害鉄の顔”になったD51(Д51)
大阪民国・害吉鉄道。
ユニオン駅からコンクリ桟橋へ、あるいは釜ヶ崎へ。
貨物も客車も、なんでも引っ張る雑多な鉄路の中で、いま“頼りになる古参”として働いているのが、この 樺太帰りのD51(Д51) だった。
ボイラー脇にはサハリンの煤が残り、テンダーの内側にはロシア製の代用部材が混ざっていたが、それもいまや“害鉄名物の味”になっている。
帰還してからもう十数年。
誰も「帰還機」とは呼ばない。
現場ではただこう呼ばれる。
「黒ダルマのД(デー)や」
「ロスケ帰りの働き者」
「害鉄の重戦車」
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■ 朝の大阪ユニオン駅
始発前、古参整備工のアジョッシ達がD51の回りに集まっていた。
「オッパ、今日も釜ヶ崎までやで?」
「やっと動力車検終わったんやし、元気しなあかんでェ?」
「火室に変な氷柱(つらら)ないやろな。樺太クセ抜けん機関車おるさかいなァ。」
D51は黙って蒸気をフッと漏らした。
もう“帰還の痛々しさ”はない。
むしろ大阪クレオールのツッコミに慣れすぎて、無言で返すのが彼なりの愛嬌になっていた。
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■ コンクリ桟橋行き “雑多連結列車”
現在の担当は、害鉄きっての混沌区間——
大阪ユニオン駅 → 芦原橋(本社前) → コンクリ桟橋。
機関車牽引の旅客列車と貨物を“同時に”引く害鉄伝統の雑多列車。
先頭にD51(Д51)、後ろにオープンデッキの三等客車、さらには荷物車を連結している。
出発の合図を待つ外国人労働者たちが、蒸気機関車を眺めてあれこれ言う。
「Ei! デーゴジュイチ? なんか強そうやん!」
「ロスケ帰りてホンマかいな?」
「オッパ、今日も頼むで? ウチら遅刻したら首切られんでぇ〜?」
D51は、それにまた無言で答えた。
しかし前照灯がポッと一段明るくなる。
それが“了解”のサイン。
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■ いまや害鉄の主力
樺太帰還直後は物珍しさで話題になったが、
いまやD51(Д51)は、害吉鉄道・南方面の走行距離ランキングで常にベスト3。
・季節労働者の釜ヶ崎送り
・コンクリ桟橋の外国人労働者輸送
・貨物の入換
・夜間の大阪ユニオン駅構内の押し込み
・冬季はストーブ客車の暖房兼牽引
どれも「この機関車に任せれば安心」と評判だ。
整備士曰く:
「樺太の凍土で鍛えられてるからなァ。
大阪の湿気ぐらい屁でもないらしいで。」
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■ 芦原橋(本社前)付近
そこは害鉄本社、および釜ヶ崎への入口。
路地から飛び出す屋台、タミル語の叫び声、韓国語の看板、広東語の怒鳴り声……大阪民国でも最も濃い地域。
D51(Д51)が通ると、近所の子ども達がワッと駆け寄ってくる。
「デーごじゅいち兄ちゃん!今日も来たんか!」
「なぁ、汽笛鳴らしてェや!」
「アジョッシ、煙いけどカッコええわァ!」
D51はプァーーッ! と力強く汽笛を鳴らす。
大阪の雑踏に馴染みすぎて、
樺太よりも釜ヶ崎の方が“ホーム”に近い存在になっていた。
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■ コンクリ桟橋駅・到着
今日も世界中からの漂着労働者が待つコンクリ桟橋へ到着する。
潮風と雑多な匂いが入り混じる、害鉄らしい終着駅。
駅員が言った。
「Д(デー)兄さん、次は折り返して釜ヶ崎な。
今日も忙しいで?」
D51はフッと蒸気を吐いた。
それはまるで——
「こんな仕事、慣れすぎて物足りんわ」
と言っているかのようだった。
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■ 結び
樺太で凍えた記憶は遠い昔。
ロシア式の改造跡も、いまでは“武勲”として誇られている。
いまのD51(Д51)は——
害吉鉄道の混沌を一身に背負い、
大阪民国の鼓動を運ぶ“働き盛りの黒ダルマ”。
今日も世界の端から端まで、
クレオールの罵声と笑い声に囲まれながら、
煙を上げて走り続けている。





