ウンコう日誌(第811話)

天塩炭鉱鉄道の最果てで石炭を引きずり続けていた黒いC58は、
じつは若い頃だけ害吉鉄道に出向していた“古い縁”の機関車だ。

芦原橋のあの薄汚れた詰所も、
世界中の労働者が降りてくるコンクリ桟橋の喧騒も、
実は全部“昔なじみ”。

だが時は流れ、天塩の炭鉱が沈み、
ベテランたちが一台、また一台と姿を消していった頃、
このC58は奇妙な縁で大阪へ戻された。

***

戻って来た日の昼下がり。
桟橋に近づくと、懐かしいような、うるさいような声が飛んできた。

「おー、なんやこの黒いの。
また帰ってきよったんか、天塩の亡霊やんけ!」

「アニョハセヨー! おっちゃん、昔ここ走っとったん!?
えらい渋いやん~」

「アイヤー、ススだらけ! でも雰囲気アルネ!」

大阪クレオールが四方八方から降り注ぐ。
韓国語、関西弁、中国語、東南アジアの言語が混じった、
あの害吉名物の“地獄のチャンポン言語”。

C58はゆっくりとヘッドライトを光らせ、
細かい粉塵を吹きながらひと言だけ返した。

「……ただいまや」

***

復帰後のC58に与えられた役割は、
貨物の端っこにくっつけた“余裕のあるときだけの旅客便”。

現役時代と違ってハードな仕事ではない。
だが、問題は仕事量ではなく言語洪水だった。

桟橋に着くと、世界の労働者がわーっと押し寄せる。

「오사카역 가요?(大阪ユニオン行く?)」
「Ah, Mister Steam! 釜ヶ崎まで??」
「ซีโค้ง! どこ乗るん!?」

運転士のアジョッシも、昔は北海道訛りだったのに、
今では完璧な害吉鉄道仕様になってしまった。

「ヨッシャヨッシャ、のりやのりや~。
ここ芦原橋寄るから、途中で降りるやつは韓国の兄ちゃんに聞いとき!」

C58は内心こう思う。

(まーた毎日クレオール浴びや……
天塩の吹雪よりうるさいんちゃうか……)

***

それでも、この街の空気は不思議と嫌いになれない。

夕暮れになると、コンクリ桟橋の海風に乗って
どこか懐かしい油の匂いが漂う。

天塩の静寂とは違うけれど、
ここにはここで生きてきた鉄道たちの息遣いがある。

「おまはん、昔おったやろ。
せやから“帰ってきた”っちゅう顔してるんや」
古い蒸気動車が笑う。

C58は、しずかに汽笛を鳴らして答えた。

「せやな……ここしか、ワイの帰る場所あらへんみたいや」

そして今日も、
大阪クレオールの濁流を浴び続けながら、
帰郷組の社型C58は害吉鉄道をゆっくりと走るのだった。

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