ウンコう日誌(第805号)

大阪民国の夜は、いつも湿っている。

ユニオン駅構内の煤けた蛍光灯の下、黒い流線型機関車C5343号が低く唸りを上げた。

「……あれが“鉄道帝”の黒い翼やで」

堀江新地の荷役が、タバコの煙を吐きながら呟いた。

戦前の夢、敗戦の残骸、そして再生不能の鉄屑。

その全てを飲み込みながら、害吉鉄道の黒き流星は今夜もコンクリ桟橋へ向かう。

屋根の上には、世界の流浪者たち。

バリから、釜山から、メコンの岸から、

“どこでもない場所”へ逃げてきた彼らが、貨車の上で鍋を囲み、太鼓を叩き、

夜風に乗せて祈りを投げる。

「おい、またあの機関車や」

「せや、あのC5343。流線型の魔物や。」

この列車は、害吉鉄道のなかでも特別な使命を負っている。

大阪ユニオン駅を深夜に出発し、芦原橋(本社前)を経て、

コンクリ桟橋へと至る“帝の列車”。

それは、貨物でもなく、旅客でもなく、祈りそのものを運ぶ列車だ。

車掌は誰も知らない老人。

制服の代わりに古い海軍のコートを着て、乗客の切符を切るふりをする。

煙突からは煙が出ない。代わりに、灰色の光が漏れる。

動力はもう蒸気でも電気でもない。

“害吉エーテル”と呼ばれる謎の燃料を使うからだ。

「次は、芦原橋(ほんしゃまえ)~芦原橋(ほんしゃまえ)~」

スピーカーから流れる声は、すでに死んだ車掌の録音だと言う。

夜明け、コンクリ桟橋。

波止場に立つ労働者たちが、

異国の旗を背負いながら鉄の列車を見上げる。

黒い流線型の車体が朝焼けを反射し、

まるで“未来を置き去りにした彗星”のように見えた。

「帝の夢、まだ終わらんな」

港の老爺がつぶやく。

C5343は汽笛の代わりに、

低く、金属のような祈りの声を残して消えていった。

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