ウンコう日誌(第803号)

害吉鉄道・芦原橋構内に、一台の黒ずんだ蒸気機関車が静かに眠っている。
その名はД51。かつて樺太(サハリン)で伐採材を運び、終戦とともに放置された旧国鉄D51が、数十年後、奇跡的に大阪民国へ戻ってきたという曰く付きの機関車である。
錆びついたボイラーには、まだキリル文字の銘板が残る。
「Д51-498」——戦時中、南樺太鉄道からソ連の機関区に接収され、そのまま極東ロシアで酷使された。
戦後、鉄道遺産の名のもとに返還されたが、帰る先はもう日本ではなかった。
戻ったのは大阪民国・害吉鉄道の「コンクリ桟橋駅」構内。
港の片隅に、海から流れ着いた機関車として据えられた。
「おい、今日も動くんかい、Дのオッサン」
若い整備士が笑うと、黒い車体がわずかに揺れ、まるで返事をしたようだった。
石炭の代わりに木炭を焚き、煙はくすんだ青灰色。
貨物も旅客も運ぶ“なんでも列車”として、
今日も大阪ユニオン駅から釜ヶ崎を経て、コンクリ桟橋へと向かう。
桟橋には、世界中から流れ着いた労働者たちの影。
インドネシア語、ロシア語、タガログ語、そして大阪クレオールが入り混じる。
その騒めきの中を、Д51は静かに息を吐く。
「고향으로 돌아가자……(故郷へ帰ろう)」
誰かが呟いた。
けれど、この機関車の故郷は、もうどこにもない。
それでも、今日も煙を上げて走る。
時代遅れの鉄と石炭が、
まだここでは生きているのだ。





