ウンコう日誌(第783号)

台湾から引き揚げてきたC57は、すでに日本では役目を終え、解体寸前の身であった。しかし害吉鉄道の社長「鉄道帝」は、その細身で優美なシルエットを見て「これは大東亜の象徴になる」と言い張り、スクラップ寸前で買い叩いたのだった。
煤にまみれたボイラーには「臺灣鐵路管理局」の刻印が残り、テンダーの側面には消し跡のように「TRA」の文字が浮かぶ。労務者たちはそれを「臺帰り」と呼んだ。
復帰後、C57は大阪ユニオン駅〜コンクリ桟橋の客貨混合列車に就いた。客車は窓ガラスの割れたままの三等車。屋根の上には荷物と共に労働者がすし詰めに乗り込み、汽笛一声でカタカタと動き出す。
「アニョハセヨ!」「Apa kabar!」「我們到了沒?」
客車からは多言語の叫び声が飛び交う。大阪民国のカオスを象徴するような車内だった。
ときに沿線の子供たちは、C57の細身の車体を見上げてこう囁く。
「お母ちゃん、あれはほんまにSLかいな? 釜ヶ崎行きの幽霊列車ちゃうん?」
だが「鉄道帝」にとっては、台湾帰りのC57こそが大東亜の夢の残り火。彼は言う。
「この機関車が走る限り、我が害吉鉄道は大東亜を統べる正統な後継者なのだ!」
汽笛がまた鳴る。
C57は黒煙を吐きながら、今日もコンクリ桟橋に流れ着いた労働者を釜ヶ崎へと運んでいくのだった。