ウンコう日誌(第748号)

害吉鉄道・北津守機関区。
そこには、どこから持ち込まれたのか判然としないアメリカ製の小型ディーゼル機関車が1両、居ついていた。銘板には「WHITCOMB」の文字。戦後に余剰となった占領軍向け車両の転売品とも、朝鮮戦争で流れ着いた戦地復旧用とも、あるいは香港の波止場から大阪民国に密輸されたとも言われている。
この赤いホイットコム、通称「チビ太5号」は、通常は南津守の構内入換だけを任されていた。だが年に数回だけ、突発的に旅客運用に就く日がある。それが今日。
ユニオン駅発、コンクリ桟橋行きの貨物列車が、車両故障で立ち往生したのだ。代替として急遽仕立てられたのが、チビ太5号+**代用客車(=物資輸送用の無蓋貨車にビニールシートとベンチ)**という地獄の構成だった。
「それ、牛運車やないか!」
「ちゃうわ、人や!釜ヶ崎帰りの民やで!」
怒号と歓声が入り混じるホーム。ビールケースを並べた座席には、出稼ぎ帰りの民工、カラカラに乾いた魚を売るバイヤー、胡弓を抱えた越南の老人、そして乳児を抱くバングラの母親までが乗り込む。なかには山羊と一緒に座っている者も。
警備員は諦めて、乗客の人数ではなく「何足分の靴があるか」で定員を確認する。
発車の汽笛は、なぜか手動の警笛笛。操作は釜ヶ崎のボス・カンちゃん(元国鉄職員、今はギャンブル屋台の店主)が担当。
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途中、芦原橋駅で20分の停車。理由は「たこ焼き屋の鉄板が冷えてないから」。車内の乗客は皆ぞろぞろと降り、屋台街で買い食い。戻るのが遅れたため、再発車時には乗客が増えていた。
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終点・コンクリ桟橋駅。そこはすでに日が暮れ、ランプの明かりと焚き火の煙がたなびいていた。
代用客車の乗客たちは、それぞれ阪鮮航路、阪琉航路の夜便に向けて散っていく。誰一人、切符を見せる者はいない。ただ互いにうなずき、帽子を取って別れの挨拶をするのみ。
その横で、チビ太5号は何事もなかったように構内側線へと戻っていく。まるで「次はいつ旅客を乗せるかなんて、俺の気分次第だ」とでも言うかのように。
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そして翌日、北津守機関区に停められたチビ太5号には、誰かがそっと貼り紙をしていた。
「乗ってや、チビ太。またどっか連れてってな。」
ホイットコム、赤い小型機関車。大阪民国の片隅で、今日も静かにエンジンを鳴らしている。